1月27日から1月29日。【嵐ファンの記録】
嵐ファンが今回の嵐活動休止を知ってからの記録。
[1月27日]
17時5分
ファンクラブメールが来て、コンサートの追加情報かと思ってメールを意気揚々と開けたけど、
「ファンの皆様へ」の言葉で顔面蒼白。まさか・・・と。
すぐにファンクラブのサイトに行くと、活動休止の文字。
ネットの嵐ファン界隈の声も気になったけど、とりあえずすぐに動画を見た。
声を聞けて嬉しかったけど、それ以上に衝撃が強すぎて、動画を2回ほど見て、その下の嵐からのメッセージも何度も読んだけど、智くんの思いに共感する。でもやっぱりよくわからない。
とりあえず明日明後日の話ではないっていうことと、5人を大事にする嵐らしい決断だと思った。
「余命2年あるなら。」っていう翔くん譲りのポジティブ部が発動してた。
17時30分
とりあえず要は嵐は2年後までは活動するのね。でも、2021年はどうすれば?となる。
今まで何事も嵐に会えるからと思ってやって来た私はどうすれば?となる。
「ファンの皆様へ」の文字を見て以降頭が真っ白なまま。
19時前
もうよくわからないけどポジティブに考える自分もいよいよ少し理解し出して、悲しくなってくる。
気晴らしにいつも日曜に観ているサザエさんを見たけど、
題名が「嵐を呼ぶワンピース」っていうのでナイーブになる。
20時半ごろ
復活がどうこうよりも今の嵐を見ていこう、と落ち着こうとしていた。無理だった。
22時
Mr. サンデーで嵐を拝む。ツイッター界隈も気になったけど、まず嵐の声で気持ちとか色々確認したい。
智くんがこんなに1人で何分も話すことある?って最初の方心配だったけど、
4人のフォローが本当に優しく、強くてやっぱり嵐はこれだから、って再確認。
あと翔くんが2021年以降は想像していなくて今の嵐のことを考えているって言葉でやっぱり今を考えなくちゃってなる。
そのあとは久々に高校の同級生の嵐ファンと久々にやりとりしたり、高校の時の友人のグループLINEで「嵐が・・・」って呟くが、大学生は今、テスト前(号泣)
結局その日は嵐が活動休止するんだってことを知ったけど、ただそれだけだったみたい。
[1月28日]
大学生のくせに8時に起きる。久々に早起き。
全然眠れなかったけど。
朝
友人は月曜日でテストが終わる場合も多く(ちなみに私はまだですが!)、
しかしなんとなくもはや無。脳内で流れるOne LoveとかStill…とか、タイムマシンとか。最終的にタブーがループし出して、自分でもメンタルが壊れてるな、と自覚。
ツイッターをスクロールして全く止まらないタイムラインを見ながら何と無く過ごす。
お昼ご飯
一緒に食べた同級生と「嵐悲しいね。」という会話をする。嵐ってファンだけじゃなくてそうじゃない人も例えばこの同級生のように嵐と同い年だって認識していたり、初めて好きになった人たちだっていう人もいるんだな、すごいなぁ。って改めて思う。
午後の授業
今日初めて私に会った友人にその時の私にとっては結構傷つくことを言われる。
私が嵐ファンっていうこと十分わかってるのに開口一番私にかける言葉がそれかよ、ってなって傷つく。
帰宅
帰宅してやっぱり悲しいってなる。zeroの質問を考えて、読まれる読まれないよりもとりあえず翔くんとして、嵐の櫻井翔くんが初めて生の声で嵐の想いや自分の想いを届けることが不安であり、でも翔くんから言われたことなら受け入れられるかも、と前向きにもなる。
夕飯
3年A組を見て、「夢を叶えたいなら、すがれよ」っていう菅田くんと「すがれないんだよ!」っていう生徒とのやりとりを観て、
「すがらずとも受け入れてくれるのが嵐なのかな
すがれば諦めないでって言われるような夢を持たせてくれるのが嵐なのかな」
と思う。
こんな風にリンクしてしまうほど、結構心えぐられてた。
夕飯後
嵐ファンではないただの嵐みたいな関係の友人に
「今日、嵐のことで同級生が無意識に私のメンタルをえぐってきて。
でもそういうことが1回しかなかった私は周りに恵まれてると思う。」
っていう愚痴LINEを送ったんだけど、
色々会話していくと、
「私ら嵐と同級生だけど、活動休止したら、再開したときは私たちが年上になるね!」
って言う解釈をし出して、
「嵐を追い抜けるね。(笑)」
って嵐が活動休止することによって私たちが年齢的に嵐の上になるんだっていうまさかの友人の私にはできないような発想で、少し嵐に勝てるような嬉しさに。
同時に嵐を追い抜くって思うと少し元気になった。だって嵐を追い抜けるんだよ?って。
そんなこんなで少し心が落ち着いたのは夜の10時前。
いい友人を持った。かけがえのない存在だよなぁ。
けれどやっぱりまだ、寝不足なのに眠くならず、本当はzeroも録画で観ようとしていたけど、
気づいたら22時50分。これはリアタイするしかないだろ、自分。という訳でお茶の間で待機。
23時
テレビに映った翔くんの顔がむくんでいて、「あ、しょうくん♡」と思う。
昨日嗜んでたんですね。
翔くんが言葉でしっかり、嵐の自分が言いたいこと、嵐の自分の役割だとか、それだけじゃなくて5人の考えも間違いのないように丁寧に伝えてくれた。
でもやっぱり私は聞きたかったんでしょう。
「嵐は復活しますか?」っていう問いに
「復活します!」と答えてくれたその瞬間に、
今までの悲しみは一旦閉じて、今を、2020年までとりあえず嵐を応援していこうっていう気持ちが
心にストンと落ちてきて、急に眠たくなった。
「2021年以降も嵐ファンでいていいですか?」
って言う問いにそう思っていただけるのが嬉しいと答える翔くん、質問にラフに、けど想いを持って翔くんを見て、
翔担だからだとも思うけど、すっごく安心できました。
今日は6時間睡眠でしたが、すっごく深い眠りだったので、むしろすごく元気になってしまった私です。
これが今までの私、嵐ファンとしての記録です。
私はなぜ嵐ファンになってしまったのか。なぜ櫻井翔ファンになってしまったのか。
私はなぜ嵐ファンになってしまったのか。
その経緯を知るには、私のオタクとしての歴史を紐解いていかなければなりません。
今回の記事ではそんな自叙伝に触れつつ、なぜ「嵐ファン」になったのかについて自分のことを分析していきたいと思います。
私が嵐を知ったのは小学生の頃です。2007年の小学二年生のときに偶然テレビで放送されていた松本潤くん主演の花より男子を観たことがきっかけです。
しかしながら今思うとそれは「松本潤」を知ったのであって、「嵐」を知ったわけではありません。
私は今櫻井翔担当として人生の半分ほど過ごしているのですが、まだ彼の存在を知るのは先の話です。
しかしながら私がそうやって嵐を知って好きになる以前にも、
私はそのジャニーズの存在を幼い頃から知っていました。
というのも、私の親戚がSMAPのファンでした。
母は初期のSMAPファンで、ブレイクする以前の小さなステージで1日2公演していたSMAPのライブに足を運んでいました。
他の親戚(祖母やその他の女性陣)はブレイク中、そして安定期に入ったSMAPのファンです。
この親戚中がSMAPファンだったことが私にどう影響したのかをまず考察していきたいと思います。
幼き頃の私の記憶も若干ではありますが、以上の3つのことは私が生まれて間もない頃、幼稚園の頃の私のSMAPの記憶です。
1.
これは私の祖母やその親戚のコンサートに行った証です。解散直前の最後のコンサートにも足を運んでいました。
祖母はキムタクが大好きで、必ずHEROの映画を観に行きます。キムタクが世界で一番かっこいい人なのかな、と幼稚園に通っていた頃の私はなんとなーく思っていました。
2.
私は親の教育でテレビを観ない環境で育っていましたが、祖母の家では時々テレビがついていました。しかし、母親も私の世話をしているのでバラエティやいわゆるNHKの教育番組を見せてもらうことはなかったと記憶しています。
しかし、この記憶は少し曖昧ですが、私の一番古いテレビを観た思い出は「SMAPのコンサートDVD」です。ひたすらにロン毛のキムタクがめちゃくちゃかっこよかったんですが、コンサートのキムタクはめーちゃくちゃかっこよかったです。性の違いがまだ曖昧にしかわかっていない幼稚園児でも「かっこいい」と思ったぐらいですからね。
さらに、私が幼い頃唯一観ていたバラエティ番組は「笑っていいとも」でした。ハイ、お察しの通りです。
3.
これは、上記の2つを見ると、私は「キムタク大好きなSMAP一族の娘」かと思われますが、そういう訳ではないです。ちなみに言うと私の母は中居くん推しだったそうです。
私はカラオケに行くと、童謡以外に歌える曲は世界に一つだけの花しかありませんでした。というのも車に乗ると毎回その曲がかかっていたからです。その曲を聴きながら
「誰が好きなの?」と聞かれ、
「慎吾くん!」と答えていた記憶があります。
1〜3について単発的に記憶をえぐり出してみましたが、自分で文章にしていくうちに気づいたことがあります。
これほどまでに自然な英才教育があるだろうか。
ということです。
ジャニオタは遺伝子として遺伝するというよりも、自然とジャニーズを好きな人たちによって遺伝していくという方が近いという結論に至ります。
結局私は
なぜ嵐ファンになってしまったのか。
という固定して「嵐」という存在に絞る以前に
なぜジャニーズファンになってしまったのか。
についてを先に考える必要もあったようです。
小学生になると、私はテレビを観るようになりましたが、小学校1年生のときは「げいのーじん」=笑っていいともに出てる人という狭い範囲でしか認識していませんでした。友人に「芸能人縛りのしりとりをしようよ。」と言われて、「た」だと「タモリ」、「べ」だと「ベッキー」としか答えられなかったのを覚えています。
しかし、字を習い、あまり交友関係を広げられなかったので、休み時間になると図書室に行って絵本を大きくしただけのようなノベルやハリーポッターなどのファンタジー小説を読むことに没頭していました。
そういうようなことで知識を蓄え始めた私はテレビも好きになりました。
テレビっ子ではありませんが、今でもテレビを観るのは好きで、特にNHKのBSでやっている変な番組を観ると心が落ち着きます。
そして時間は過ぎ、2007年に祖母の家でかかっていたドラマ、花より男子で嵐ではなく松本潤との出会いがありました。内容は忘れましたが、とりあえず今までのSMAPとはまた違う魅力のある「道明寺」の確固たるナルシストさに取り憑かれてしまいました。
今でもまだ「嵐のキムタク枠」と称されることのある松本潤のそのキムタク枠というのはこの時に出来上がったものは衆知の事実ですが、松本潤はキムタク枠ではなく道明寺、そしてその役から派生して生み出された役の方々を演じた松本潤がキムタク枠なのだと思います。〈嵐ファンの主張〉
そして私はまだスマホを知らない平成の真ん中あたりで松本潤が嵐というジャニーズのグループに属していることを知るわけです。
そのころになるとまだガキでしかない小学生のキャピキャピした子が「嵐かっこいい」と言う光景も見ることがありました。
最初の頃は「松潤かっこいい」と思っていた私ですが、改めてテレビで嵐を拝見していると、松潤ではなくて櫻井翔くんに興味を持ちました。
しかし私は兄弟が一人いたので、小学校三年生まではバラエティ番組をあまり観る環境に置かれていませんでした。しかもまだ恋もよく知らない私ですし、そのかっこいいなという感情は少しの作用で大きくなったり小さくなったりする、ふわふわしたものでした。
事が変化したのは紛れもなく2009年の紅白歌合戦です。
私の家族はバラエティは観ないものの、紅白歌合戦は毎年観ていました。2008年の時に「嵐出ないのか。」と悲しくなったのを覚えています。
そのせいか嵐が紅白出場することを知って、「嵐だ!観なきゃ!」とその時は嵐ガチ勢でもなかったのにテレビの前に正座していました。
嵐の出番になって、
バーーーーン!!
と光の中に五人のシルエットが浮かび上がりました。しかし、確かに五人いたはずなのですが、私の記憶には「櫻井翔くん」しかありません。
前をしっかり向いて地に足つけて、私たち観客に向かって指を突き出している彼が、猛烈に私の脳のあらゆる所に刺激を与えたような感じで、
あ、堕ちたな。
と、今なら分かります。あの瞬間こそ「堕ちた」と称すべき場面でした。私は小学生ながら、まずはwikiのようなまとめサイトで翔くんがどういう人なのかを調べて、そこからひたすら動画を探していました。自分で興味を持って調べようと思った初めての芸能人が櫻井翔でした。
私はそこで「櫻井翔」だけ調べました。彼の学歴とか育ちの良さとかに驚きました。調べていく中で、翔くんがラップを書いていることを知りました。いわゆるサクラップと皮肉されている文章を読みましたが、そこで紹介されているラップはすごく素敵だなと思い、私はすぐに5×10のベストアルバムをレンタルショップで借りて、曲を聴きました。実際にサクラ咲ケやらBelieveで唄われる翔くんの低音ラップがかっこいい!と思うと同時に私は他のメンバーの歌声も気になりました。
私は3歳ごろから音楽に関わってきましたが、SMAPや時々聴くTOKIOの宙船以外でちゃんと歌を聴くのは初めてでした。
もう予想はつくと思いますが、リーダーの智くんの声をひたすらリピートしていました。すごく心地のいい声で、他のメンバーの歌声も大好きですが、彼の声は機材の性能が違うんじゃないかってぐらい私の心に染み渡るようなすごく表現力の高い音を奏でていました。楽曲を聴き込んだことでドッと嵐に関する興味が湧いてきました。
私は今までの人生で三回受験を経験していて、その中で一番辛かった受験が中学受験です。私がお受験をして入った小学校は最難関や難関中学校に受験することは当然だったので、私も中学受験を経験しました。
大学受験のときは中学高校と6年間毎日一緒に過ごしてきた家族のような大切な友人たちに恵まれ、勉強が大変なときでもそのことを分かち合う存在がいましたが、小学生の頃の私にはそういう存在はいなくて、むしろ「のけもの」同然で孤独そのものでした。そういう仲間というのがいかに重要だったのかがわかりますが、そんな逼迫した状況で私は嵐を本気で応援するような暇はなかったです。
時に自分を見失いそうになったこともありましたが、そんなときでも嵐のアルバム、僕の風景とかBeautiful worldを聴いたりバラエティ番組で嵐を観て、お茶の間のファンとして勇気付けられていました。
しかし小学六年生になると、そういう時間もなくなっていきました。当然、「嵐は好きだけど、」という概念は持っていますが。
嵐から離れてしまったと思っていたその時期、まさに受験直前に再び私の心の中に大きな爆弾が降ってきました。
中学受験も迫る12月、親が用事で家にいなかったときに、私は休憩がてら久々にテレビをつけました。すぐに消そうと思っていても、私はまだ幼かった・・・。録画リストを押すと、「謎解きはディナーのあとで。」が出てきました。お母さんが録画していたのでしょう。私はそれを少しだけ、ほんの少しだけ観てしまいました。
あの影山執事、ではなく、その眼鏡の奥にある翔くんの存在に私は再び堕ちてしまいました。
「やっぱり、私櫻井翔くんが大好きだ。」
と気づきました。
そしてその気持ちは内に秘めたまま無事真剣に勉強して第一志望の中学校に合格した私はすぐに嵐のファンクラブに入りました。でもそれだけ、たったそれだけの因果では私は今のような意味のわからないほど重い想いを抱く櫻井翔ファンにはなっていないはずでした。それだけなら、ただの顔ファン、経歴ファンじゃないですか・・・。
なぜ櫻井翔ファンになってしまったのか。
ということを考えると、それは中学受験が終わり、小学校を卒業してから中学生になるまでの曖昧な時期が原因だと思います。その時期がすごく暇でした。暇は娯楽に繋がるという論理は常識ですが、その娯楽というのが私にとって嵐でした。しかもすごく暇だったので動画を漁ったり、テレビを観るだけでは時間が余るほどでした。それで手をつけたのがインターネットの世界です。インターネットの嵐ファンの世界に最初に入ったのは小学五年生の頃に見た3.11後のオトノハについて書いてあったとあるアメブロです。その記事での櫻井翔についての温かい考察にすごく興味を持って、一度はまった界隈でしたが、その曖昧な時期に読んだアメブロは以前読み漁ったブログと同じブロガーさんが書いていたものなのに、そのオトノハの温かみのある記事とは違って、少し毒舌な文章が印象に残りました。
しかしそのたくさんの毒舌な記事の中に翔くんの世間のイメージを壊そうとする執念を垣間見て、私はその「世間のイメージ」と「実際」の翔くんは確かに違うもので、翔くんはそれと葛藤しているのかもしれないとすごく納得できました。
そういう記事を見て、自分で世間のイメージを身に纏った櫻井翔を壊して本当の翔くんを見ようと努力しました。
あくまでそれは私なりの考察で、もちろん結局いまだにプライベートの翔くんについては知り得ていませんが。
そこで思ったことは私と翔くんの育った環境が似ているという点です。もちろん似ている部分が多いというだけで結構違うところもたくさんありますが、それならば、パブリックイメージを取っ払った翔くんは、温室の雑草そのものでしかないと思いました。水と光は自動的に与えられている、しっかり地面に根を張って、育ってきた雑草。
でも私には翔くんとの共通点よりも翔くんと自分と違う所の方が際立って見えました。それが私にはない精神です。
2013年の7月号 Cut「櫻井翔の履歴書」で
ぼくがジャニーズ入ったことでわかるように非常に放任主義だったんですよね。『やりたいんならやれば』みたいな。だけどその分、責任は全うしろと。だからそれは僕が育ってきた学校の教育、あと家庭の教育もそうだったけど、なんか『自由は責任である』っていうのをとにかく叩きこまれてて、
を参照すればわかるように、『自由は責任である』という精神が身についている彼にはその責任を抱えてしっかりと地に足をつけていられるだけの精神が心に宿っているわけです。
その精神というのは、自由にしてきたことで傷つきながら身につけていくものです。
そしてその鍛えられた精神というのは彼がジャニーズに入ったり、嵐になるためには必要不可欠だった。
今になるとそうやって翔くんと違う点について私も少しはわかるようになってきましたが、その小学生と中学生の間の時期に私が思ったのは、
私は翔くんになりたい。
という、悲しくもすごく漠然とした、現実味のない想いでした。
その頃、パブリックイメージの翔くんがまだしっかり息をしていましたが、私にはその葛藤や悩みも含めて翔くんがとにかくすごく強い人に見えました。一方私は何も意志なんかなくてただ目をつむらなくても見える、誰かが導いてくれているレールに沿って歩いたらいい、弱い人。
その長かった暇な時間で私が得た想いは、
「できるだけ翔くんに近づきたい。」
です。
つまり、少し強すぎる憧れという感情が私を櫻井翔ファンに仕立て上げたんです。
と、自叙伝を含めて考えてみましたが、今の時点で私は嵐になれるのか、と、櫻井翔になれるのか、ということについて改めて考えてみるのですが、
なれません。
まだ、遠くにいる、翔くんの大きな背中を追いかけています。
私にとっての櫻井翔くんの道
今週のお題「2019年の抱負」
今年は現場に行きたいです。
これが今年の抱負です。
私はこの2019年という年が人生で最もニート寸前の1年になるのではないかと予測しています。その中でどうその「暇」を活用していくのかっていうのは非常に重要なことです。
しかしながら自分の趣味は何だろう?って改めて考えると
ひたすらに嵐依存症であるなって思います。
今年の1月は翔くんの誕生日が迫っています。
1月25日に重い想いと翔くんへのリスペクトの気持ちを込めた翔くんへの考察をしていきたいです。
私のその「翔くん」へのリスペクトっていうのは恐れ多くもすごいです。
「描き出されていた道」を全く通らずにと見せかけて翔くんらしくその道を自分の力で導いている姿が素晴らしいです。
友人に「翔くんのどこが好きなのか」と聞かれたら
「好きというより憧れであり、恋という感情やそういう内面の刺激ではなくてむしろ『私』たる物を動かせるような強い憧れ」
と答えているんですけど(その友人はすごく聡明だなと今改めて感じました笑)
高校の時にそれを言ったら
「かえるちゃんはもう翔くんを超えているんじゃない?」
という返事が来ました。
「憧れ」というのがそういわゆる「そうなりたい」って強く思うってことだとしたら確かに高校の時点で私はそこまで翔くんと変わらないし翔くんより学力あるしって言われても頷くしかありませんでした。
しかしながら私はそれではなくて、嵐としてデビューして死ぬほど努力してその「慶應」っていうブランド力と最大限の努力で勝ち取って漢たる実力でここまでのし上がってくる強い反骨精神に憧れているんです。
翔くんのその嵐としての覚悟っていうのは、ジャニーズになるっていう覚悟っていうのは最初は何となくの強めの意地だったのかもしれないけど、
今となってはそれは翔くんの性格上の精神であり今いる翔くんを堂々とさせている意志だと思います。
そして何より翔くんがデビューして苦労してた時期に蒔いた種っていうのは、翔くんの道にも蒔かれていたようですね。
嵐の道だけではなくって
今その翔くんが進む翔くんの人生たる道は花が咲き誇り、木々が立ち、生き物がたくさん住んでいるようなそんな夢のような道になっているのではないかと思います。
翔くんが進むはずだと思っていたありきたりに見えるレールっていうのは、他の翔くんの同級生が進んでいるレールでもあると思うんだけど、決してありきたりではなくて翔くんがそれを目指して(逆に目指して)キャスターや司会、そして嵐のメンバーとしての活動で同じ価値のある、いやむしろ尊い道になっていったのだと思います。
私の話になるんだけど、私はレールらしきレールを歩んでいるんだけど少し思ってたレールと違うけれど、
友人は「こうなりたい!」って思って自らが道を開拓していて、それは翔くんとは違ってみんなが歓迎してくれている道ではあるけど素敵だなと思いますね。
人は人、自分は自分であり、翔くんは翔くんらしくガキ大将のような「俺についてこい」っていう精神でひたすら道を開拓しているんですね。
私はそんな翔くんを尊敬するし、自分もそういう強い精神に憧れています。
理想のアイドルとは。
理想のアイドルって何だろうって考えるようになった今日この頃です。
しかし、みなさまそういうこと考えませんか?考えますよね。
「夢を売る職業」ってあるけど、
なぜアイドルは結婚できないのか
自分をアイドルに売って初めてアイドルになれるのか、それとも自分を分割して妥協しつつアイドルをしているのか。
どちらなのか、人によって違うけれども。
理想のアイドルを考えてみました。
個人的に「自分がアイドルならこうなる!」(男性アイドルの場合)
ということで。
ジャニーズのようなデビューすればそこそこすごいアイドルになれる保証付きのアイドルなら、、、
この理想アイドルをAとすると、Aは
「アイドル」を曲げません。
デビューして下積み時代はスキャンダルとか変な噂とかを流さないように、
「火のないところに煙は立たない」精神を大事にしてあまり派手な私生活は送りません。
けど先輩アイドルとの関係を大切にしてご飯連れて行ってもらえるように好きな先輩や憧れの先輩に気づいてもらえるように自分からその個人の名前を発したり、
それだけじゃなくて活動に全力を注ぎます。
必ずファンレターには返信を、好きと発してもらっているファンには必ず恩返しを。
ここでキーとなるのは
「アイドルはファンのことが好きなのか」
ってことです。
たまにツイッターで流れてくるアンチのツイートで
「嵐はファンが嫌いだからね」
っていう謎の自信ありげなツイートを目にするのですが、
ファンが大好きです。
っていう言葉に私は違和感を感じます。
アイドルはファンには恋しない。アイドルはファンのことを好きにならない。
そういう訳ではないけれど、おそらく
Aくんのような理想アイドルは
「ファンが大好き」
って本心から言うことはないと思います。
そしておそらくファンが「Aくんいてくれてありがとう。」と思うのと同様に理想アイドルAくんは「ファンの子達、いてくれて本当にありがとう。」って思っています。
そしてその「いてくれてありがとう」の相互関係というのは深まります。
1年間彼をアイドルらしくさせてくれた、2年間、3年間、、
ありがとうっていう気持ち。
1年間私をときめかせてくれた、2年間、3年間っていう気持ち。
初期のファンというのはその何年間っていうことがそのアイドルの何年間っていうのと同じだったり近いことが多いです。
その相互関係は次第に深まり、気づけば
それがいわゆる
「依存」に成長していく。
それはアイドルとファンの関係を象徴する「依存」です。
さて、理想アイドルAくんの話に戻りますが、その「依存」が出来上がる初期の数年間を経て、Aくんはそのまだ数万いるのかも分からないようなファンと共にさらに自分を売り出します。
ファン獲得の1期はデビュー直後です。それは自明なことです。紹介され、事務所の力でAくんは理想アイドルなのでもちろんイケメンでジャニーズファンは「あれ、こんな子いたのね」と続々わらじを履き出します。
さらに偶然音楽番組やワイドショーを観た女子中学生、女子高生が「かっこいい」と画面の中の王子様に憧れを抱くとそれがファンとなります。
ファン獲得2期というのはこれはそのグループ自体のチャレンジ精神も大事になります。
ただ与えられてこなすだけでも勿論それに気づいて好きになったファンは増えますが、それで獲得できるファンというのはそこまで多くありません。
「ここでかましてやるぜ」という熱い精神に加えてさらに茶の間の人気を獲得すれば今までジャニーズや王子様に興味のない層のファンを獲得できて、それがその理想アイドルAくんの人気となるんです。
そうです。ファン獲得1期は「アイドルになるための」ファン獲得2期は「人気になるための」時期なんですね。
アイドルになるためだけならば1期で得られる単なるアイドルファンだけでも構いません。
しかし2期で得られるファンはいわゆる「ミーハー」も多く含まれているためすごく拡散力のある層を獲得できます。
そしてそのミーハーはだいたい茶の間でテレビを観ています。
そこでだいたいの俳優さんや女優さんのブレイクのきっかけとなる「ドラマ」でいい役を獲得して全力で打ち込む。
それが人気への近道です。
大手事務所のアイドルならば日々の頑張りでその座を取ることは可能です。主演というのはそこまで難しいことではありません。理想アイドルAくんはそのようにして主演を全力でやり切って、茶の間の人気を獲得していきます。
しかしながらその人気というのは爆発的なもので普段のアイドルファンの獲得とは違います。ここで初めて「芸能人っぽさ」というのが本当の意味で必要になります。
今度はその層の増加を止めないために理想アイドルAくんは週刊誌の目や意外とそばにいる監視者を気にしながら生活しなければなりません。
共演者の幅も増えて、超綺麗な女優さんとの共演も現実になります。
しかしながらそこでどのように自分を確立していくかが鍵になりますよね。
理想アイドルAくんは綺麗な女優さんに一目惚れして食事に誘うかもしれませんが、その時も注意は欠かせません。
なぜならアイドルはファンに夢を売る職業です。
ファンは「見えていることだけを信じている」と、心に誓っています。しかし心のどこかで「見えていないところも信じている」と囁いていると思います。
誰がその恋人であろうと「やった、Aくんに恋人がいるのね、結婚まで頑張ってね」と本心から声をかけられるファンは果たしてファンなのでしょうか。
しかしながら大ブレイクしたAくんにはさらなる悩みが降りかかります。
それは「一般的な印象の確立」です。
Aくんはドラマでブレイクしてブレイクしてから少しの間はその登場人物の名称で認識されるようになります。
確かにAくんにはそういう一面も大いにあるけれど、ずっとそういう雰囲気ではないのに「マスメディア」という一般印象製造機によって
「Aくん」
というもともと存在しているAくんの表面を削りとった皮のような一枚のAくんが生み出されます。
そのAくんはAくんであってAくんではないのに。
と葛藤するのはAくん、そしてその印象操作されたAくんではない元々のAくんを期待するファン自身の葛藤。
しかしこれが残念ながら生産的で現代的なメディア主義が支配する負の側面であり、しかしメリットでもあるのです。
結局理想アイドルAくんはアイドルと共存しつつも、本当の自分の「ありのまま」を大事にしたいという願望を心のうちに秘めながらアイドルをしていくことになります。
PART1