日毎に見事に輝き増す彩り

ただの嵐ファンで櫻井翔ファンの私がうだうだ語るブログです。

私はなぜ嵐ファンになってしまったのか。なぜ櫻井翔ファンになってしまったのか。

私はなぜ嵐ファンになってしまったのか。

 

その経緯を知るには、私のオタクとしての歴史を紐解いていかなければなりません。

今回の記事ではそんな自叙伝に触れつつ、なぜ「嵐ファン」になったのかについて自分のことを分析していきたいと思います。

 

 

私が嵐を知ったのは小学生の頃です。2007年の小学二年生のときに偶然テレビで放送されていた松本潤くん主演の花より男子を観たことがきっかけです。

しかしながら今思うとそれは「松本潤」を知ったのであって、「嵐」を知ったわけではありません。

 

私は今櫻井翔担当として人生の半分ほど過ごしているのですが、まだ彼の存在を知るのは先の話です。

 

 

 

しかしながら私がそうやって嵐を知って好きになる以前にも、

私はそのジャニーズの存在を幼い頃から知っていました。

 

というのも、私の親戚がSMAPのファンでした。

母は初期のSMAPファンで、ブレイクする以前の小さなステージで1日2公演していたSMAPのライブに足を運んでいました。

他の親戚(祖母やその他の女性陣)はブレイク中、そして安定期に入ったSMAPのファンです。

 

 

この親戚中がSMAPファンだったことが私にどう影響したのかをまず考察していきたいと思います。

 

 

  1. 祖母の家の個室にキムタクのうちわが飾っている
  2. SMAPのコンサートDVDを見せてもらった(られた?)
  3. 私が好きなSMAPメンバーは誰かとよく聞かれた

 

幼き頃の私の記憶も若干ではありますが、以上の3つのことは私が生まれて間もない頃、幼稚園の頃の私のSMAPの記憶です。

 

1.

これは私の祖母やその親戚のコンサートに行った証です。解散直前の最後のコンサートにも足を運んでいました。

祖母はキムタクが大好きで、必ずHEROの映画を観に行きます。キムタクが世界で一番かっこいい人なのかな、と幼稚園に通っていた頃の私はなんとなーく思っていました。

 

2.

私は親の教育でテレビを観ない環境で育っていましたが、祖母の家では時々テレビがついていました。しかし、母親も私の世話をしているのでバラエティやいわゆるNHKの教育番組を見せてもらうことはなかったと記憶しています。

しかし、この記憶は少し曖昧ですが、私の一番古いテレビを観た思い出は「SMAPのコンサートDVD」です。ひたすらにロン毛のキムタクがめちゃくちゃかっこよかったんですが、コンサートのキムタクはめーちゃくちゃかっこよかったです。性の違いがまだ曖昧にしかわかっていない幼稚園児でも「かっこいい」と思ったぐらいですからね。

さらに、私が幼い頃唯一観ていたバラエティ番組は「笑っていいとも」でした。ハイ、お察しの通りです。

 

3.

これは、上記の2つを見ると、私は「キムタク大好きなSMAP一族の娘」かと思われますが、そういう訳ではないです。ちなみに言うと私の母は中居くん推しだったそうです。

私はカラオケに行くと、童謡以外に歌える曲は世界に一つだけの花しかありませんでした。というのも車に乗ると毎回その曲がかかっていたからです。その曲を聴きながら

「誰が好きなの?」と聞かれ、

「慎吾くん!」と答えていた記憶があります。

 

 

1〜3について単発的に記憶をえぐり出してみましたが、自分で文章にしていくうちに気づいたことがあります。

 

これほどまでに自然な英才教育があるだろうか。

 

ということです。

 

 

 

ジャニオタは遺伝子として遺伝するというよりも、自然とジャニーズを好きな人たちによって遺伝していくという方が近いという結論に至ります。

 

結局私は

なぜ嵐ファンになってしまったのか。

という固定して「嵐」という存在に絞る以前に

なぜジャニーズファンになってしまったのか。

についてを先に考える必要もあったようです。

 

 

 

 

 

小学生になると、私はテレビを観るようになりましたが、小学校1年生のときは「げいのーじん」=笑っていいともに出てる人という狭い範囲でしか認識していませんでした。友人に「芸能人縛りのしりとりをしようよ。」と言われて、「た」だと「タモリ」、「べ」だと「ベッキー」としか答えられなかったのを覚えています。

しかし、字を習い、あまり交友関係を広げられなかったので、休み時間になると図書室に行って絵本を大きくしただけのようなノベルやハリーポッターなどのファンタジー小説を読むことに没頭していました。

そういうようなことで知識を蓄え始めた私はテレビも好きになりました。

テレビっ子ではありませんが、今でもテレビを観るのは好きで、特にNHKのBSでやっている変な番組を観ると心が落ち着きます。

 

 

 

そして時間は過ぎ、2007年に祖母の家でかかっていたドラマ、花より男子で嵐ではなく松本潤との出会いがありました。内容は忘れましたが、とりあえず今までのSMAPとはまた違う魅力のある「道明寺」の確固たるナルシストさに取り憑かれてしまいました。

 

今でもまだ「嵐のキムタク枠」と称されることのある松本潤のそのキムタク枠というのはこの時に出来上がったものは衆知の事実ですが、松本潤はキムタク枠ではなく道明寺、そしてその役から派生して生み出された役の方々を演じた松本潤がキムタク枠なのだと思います。〈嵐ファンの主張〉

 

 

そして私はまだスマホを知らない平成の真ん中あたりで松本潤が嵐というジャニーズのグループに属していることを知るわけです。

そのころになるとまだガキでしかない小学生のキャピキャピした子が「嵐かっこいい」と言う光景も見ることがありました。

最初の頃は「松潤かっこいい」と思っていた私ですが、改めてテレビで嵐を拝見していると、松潤ではなくて櫻井翔くんに興味を持ちました。

 

しかし私は兄弟が一人いたので、小学校三年生まではバラエティ番組をあまり観る環境に置かれていませんでした。しかもまだ恋もよく知らない私ですし、そのかっこいいなという感情は少しの作用で大きくなったり小さくなったりする、ふわふわしたものでした。

 

事が変化したのは紛れもなく2009年の紅白歌合戦です。

 

私の家族はバラエティは観ないものの、紅白歌合戦は毎年観ていました。2008年の時に「嵐出ないのか。」と悲しくなったのを覚えています。

そのせいか嵐が紅白出場することを知って、「嵐だ!観なきゃ!」とその時は嵐ガチ勢でもなかったのにテレビの前に正座していました。

 

嵐の出番になって、

 

バーーーーン!!

 

と光の中に五人のシルエットが浮かび上がりました。しかし、確かに五人いたはずなのですが、私の記憶には「櫻井翔くん」しかありません。

 

前をしっかり向いて地に足つけて、私たち観客に向かって指を突き出している彼が、猛烈に私の脳のあらゆる所に刺激を与えたような感じで、

 

あ、堕ちたな。

と、今なら分かります。あの瞬間こそ「堕ちた」と称すべき場面でした。私は小学生ながら、まずはwikiのようなまとめサイトで翔くんがどういう人なのかを調べて、そこからひたすら動画を探していました。自分で興味を持って調べようと思った初めての芸能人が櫻井翔でした。

 

私はそこで「櫻井翔」だけ調べました。彼の学歴とか育ちの良さとかに驚きました。調べていく中で、翔くんがラップを書いていることを知りました。いわゆるサクラップと皮肉されている文章を読みましたが、そこで紹介されているラップはすごく素敵だなと思い、私はすぐに5×10のベストアルバムをレンタルショップで借りて、曲を聴きました。実際にサクラ咲ケやらBelieveで唄われる翔くんの低音ラップがかっこいい!と思うと同時に私は他のメンバーの歌声も気になりました。

 

私は3歳ごろから音楽に関わってきましたが、SMAPや時々聴くTOKIOの宙船以外でちゃんと歌を聴くのは初めてでした。

もう予想はつくと思いますが、リーダーの智くんの声をひたすらリピートしていました。すごく心地のいい声で、他のメンバーの歌声も大好きですが、彼の声は機材の性能が違うんじゃないかってぐらい私の心に染み渡るようなすごく表現力の高い音を奏でていました。楽曲を聴き込んだことでドッと嵐に関する興味が湧いてきました。

 

私は今までの人生で三回受験を経験していて、その中で一番辛かった受験が中学受験です。私がお受験をして入った小学校は最難関や難関中学校に受験することは当然だったので、私も中学受験を経験しました。

大学受験のときは中学高校と6年間毎日一緒に過ごしてきた家族のような大切な友人たちに恵まれ、勉強が大変なときでもそのことを分かち合う存在がいましたが、小学生の頃の私にはそういう存在はいなくて、むしろ「のけもの」同然で孤独そのものでした。そういう仲間というのがいかに重要だったのかがわかりますが、そんな逼迫した状況で私は嵐を本気で応援するような暇はなかったです。

 

時に自分を見失いそうになったこともありましたが、そんなときでも嵐のアルバム、僕の風景とかBeautiful worldを聴いたりバラエティ番組で嵐を観て、お茶の間のファンとして勇気付けられていました。

 

しかし小学六年生になると、そういう時間もなくなっていきました。当然、「嵐は好きだけど、」という概念は持っていますが。

嵐から離れてしまったと思っていたその時期、まさに受験直前に再び私の心の中に大きな爆弾が降ってきました。

 

中学受験も迫る12月、親が用事で家にいなかったときに、私は休憩がてら久々にテレビをつけました。すぐに消そうと思っていても、私はまだ幼かった・・・。録画リストを押すと、「謎解きはディナーのあとで。」が出てきました。お母さんが録画していたのでしょう。私はそれを少しだけ、ほんの少しだけ観てしまいました。

あの影山執事、ではなく、その眼鏡の奥にある翔くんの存在に私は再び堕ちてしまいました。

 

「やっぱり、私櫻井翔くんが大好きだ。」

と気づきました。

 

そしてその気持ちは内に秘めたまま無事真剣に勉強して第一志望の中学校に合格した私はすぐに嵐のファンクラブに入りました。でもそれだけ、たったそれだけの因果では私は今のような意味のわからないほど重い想いを抱く櫻井翔ファンにはなっていないはずでした。それだけなら、ただの顔ファン、経歴ファンじゃないですか・・・。

 

 

 

なぜ櫻井翔ファンになってしまったのか。

 

ということを考えると、それは中学受験が終わり、小学校を卒業してから中学生になるまでの曖昧な時期が原因だと思います。その時期がすごく暇でした。暇は娯楽に繋がるという論理は常識ですが、その娯楽というのが私にとって嵐でした。しかもすごく暇だったので動画を漁ったり、テレビを観るだけでは時間が余るほどでした。それで手をつけたのがインターネットの世界です。インターネットの嵐ファンの世界に最初に入ったのは小学五年生の頃に見た3.11後のオトノハについて書いてあったとあるアメブロです。その記事での櫻井翔についての温かい考察にすごく興味を持って、一度はまった界隈でしたが、その曖昧な時期に読んだアメブロは以前読み漁ったブログと同じブロガーさんが書いていたものなのに、そのオトノハの温かみのある記事とは違って、少し毒舌な文章が印象に残りました。

 

しかしそのたくさんの毒舌な記事の中に翔くんの世間のイメージを壊そうとする執念を垣間見て、私はその「世間のイメージ」と「実際」の翔くんは確かに違うもので、翔くんはそれと葛藤しているのかもしれないとすごく納得できました。

そういう記事を見て、自分で世間のイメージを身に纏った櫻井翔を壊して本当の翔くんを見ようと努力しました。

 

あくまでそれは私なりの考察で、もちろん結局いまだにプライベートの翔くんについては知り得ていませんが。

 

そこで思ったことは私と翔くんの育った環境が似ているという点です。もちろん似ている部分が多いというだけで結構違うところもたくさんありますが、それならば、パブリックイメージを取っ払った翔くんは、温室の雑草そのものでしかないと思いました。水と光は自動的に与えられている、しっかり地面に根を張って、育ってきた雑草。

 

でも私には翔くんとの共通点よりも翔くんと自分と違う所の方が際立って見えました。それが私にはない精神です。

 

2013年の7月号 Cut「櫻井翔の履歴書」で

 

ぼくがジャニーズ入ったことでわかるように非常に放任主義だったんですよね。『やりたいんならやれば』みたいな。だけどその分、責任は全うしろと。だからそれは僕が育ってきた学校の教育、あと家庭の教育もそうだったけど、なんか『自由は責任である』っていうのをとにかく叩きこまれてて、

 

を参照すればわかるように、『自由は責任である』という精神が身についている彼にはその責任を抱えてしっかりと地に足をつけていられるだけの精神が心に宿っているわけです。

その精神というのは、自由にしてきたことで傷つきながら身につけていくものです。

そしてその鍛えられた精神というのは彼がジャニーズに入ったり、嵐になるためには必要不可欠だった。

 

 

 今になるとそうやって翔くんと違う点について私も少しはわかるようになってきましたが、その小学生と中学生の間の時期に私が思ったのは、

 

私は翔くんになりたい。

 

という、悲しくもすごく漠然とした、現実味のない想いでした。

 

その頃、パブリックイメージの翔くんがまだしっかり息をしていましたが、私にはその葛藤や悩みも含めて翔くんがとにかくすごく強い人に見えました。一方私は何も意志なんかなくてただ目をつむらなくても見える、誰かが導いてくれているレールに沿って歩いたらいい、弱い人。

 

 

その長かった暇な時間で私が得た想いは、

「できるだけ翔くんに近づきたい。」

です。

 

つまり、少し強すぎる憧れという感情が私を櫻井翔ファンに仕立て上げたんです。

 

 

 

と、自叙伝を含めて考えてみましたが、今の時点で私は嵐になれるのか、と、櫻井翔になれるのか、ということについて改めて考えてみるのですが、

 

なれません。

 

 

 まだ、遠くにいる、翔くんの大きな背中を追いかけています。