私にとっての櫻井翔くんの道
今週のお題「2019年の抱負」
今年は現場に行きたいです。
これが今年の抱負です。
私はこの2019年という年が人生で最もニート寸前の1年になるのではないかと予測しています。その中でどうその「暇」を活用していくのかっていうのは非常に重要なことです。
しかしながら自分の趣味は何だろう?って改めて考えると
ひたすらに嵐依存症であるなって思います。
今年の1月は翔くんの誕生日が迫っています。
1月25日に重い想いと翔くんへのリスペクトの気持ちを込めた翔くんへの考察をしていきたいです。
私のその「翔くん」へのリスペクトっていうのは恐れ多くもすごいです。
「描き出されていた道」を全く通らずにと見せかけて翔くんらしくその道を自分の力で導いている姿が素晴らしいです。
友人に「翔くんのどこが好きなのか」と聞かれたら
「好きというより憧れであり、恋という感情やそういう内面の刺激ではなくてむしろ『私』たる物を動かせるような強い憧れ」
と答えているんですけど(その友人はすごく聡明だなと今改めて感じました笑)
高校の時にそれを言ったら
「かえるちゃんはもう翔くんを超えているんじゃない?」
という返事が来ました。
「憧れ」というのがそういわゆる「そうなりたい」って強く思うってことだとしたら確かに高校の時点で私はそこまで翔くんと変わらないし翔くんより学力あるしって言われても頷くしかありませんでした。
しかしながら私はそれではなくて、嵐としてデビューして死ぬほど努力してその「慶應」っていうブランド力と最大限の努力で勝ち取って漢たる実力でここまでのし上がってくる強い反骨精神に憧れているんです。
翔くんのその嵐としての覚悟っていうのは、ジャニーズになるっていう覚悟っていうのは最初は何となくの強めの意地だったのかもしれないけど、
今となってはそれは翔くんの性格上の精神であり今いる翔くんを堂々とさせている意志だと思います。
そして何より翔くんがデビューして苦労してた時期に蒔いた種っていうのは、翔くんの道にも蒔かれていたようですね。
嵐の道だけではなくって
今その翔くんが進む翔くんの人生たる道は花が咲き誇り、木々が立ち、生き物がたくさん住んでいるようなそんな夢のような道になっているのではないかと思います。
翔くんが進むはずだと思っていたありきたりに見えるレールっていうのは、他の翔くんの同級生が進んでいるレールでもあると思うんだけど、決してありきたりではなくて翔くんがそれを目指して(逆に目指して)キャスターや司会、そして嵐のメンバーとしての活動で同じ価値のある、いやむしろ尊い道になっていったのだと思います。
私の話になるんだけど、私はレールらしきレールを歩んでいるんだけど少し思ってたレールと違うけれど、
友人は「こうなりたい!」って思って自らが道を開拓していて、それは翔くんとは違ってみんなが歓迎してくれている道ではあるけど素敵だなと思いますね。
人は人、自分は自分であり、翔くんは翔くんらしくガキ大将のような「俺についてこい」っていう精神でひたすら道を開拓しているんですね。
私はそんな翔くんを尊敬するし、自分もそういう強い精神に憧れています。