惑星ループする想い @オタクis
遠くの宇宙で あなたに恋をしたんだ
届かないこと 理解っているのに
私たちオタクの大部分には日々こんな現実が寄り添っている。
あーあなたに逢いたいな って気持ちがループループする
頭がどうにかなりそうだ それ以外交わせない
あーいますぐ逢いたいな って来る日もループループする
この周回軌道上にあなたがいなくても
オタクって何だろう、とこの詞を見て思う。
アイドルオタクって何だろう。何を応援しているんだろう、何を好きなんだろう。
アイドルに恋をすることと、そこらへんの人に恋をする違いはまさしく
「周回軌道上にその人がいるかどうか」
だと思う。想いを寄せる相手とは軌道が違うのにずっと想いを寄せているのがアイドルオタクであり、私はまさにそのひとりだ。
よく仲が良い友人とこんな話をする。
「そういえば、〇〇ちゃんは好きな人できた?」
大体そういう友人は気になっている人がいる人だと思う。私は長年好きな人というか、相変わらず常に好きな人がいる。それこそが推しであり、周回軌道上にいない彼に想いを寄せている。
非常に愚かだと思う。
声を辿って何光年だ 延長線に消えていく
このままパッと忘れられたら 楽だろうな
さらにこの切ないオタクの想いを乗せた歌詞は続く。
おなのこのオタクは、拗らせちゃったオタクはいつもこんな想いを抱いている。
さらに好きすぎると独占欲なんかも生まれてくる。同担拒否なんて私は絶対にしないと思っていたけど、リアでは少しだけしてる。バカだと思いながらしてる。
同担拒否についてはまた考えたい案件だけど。
オタクはふと思う。
「もし推しに出会っていなければ。」
もし推しに出会っていなければ最上級の好きを知らなかった。
もし推しに出会っていなければ愛とは何かを考えなかった。
もし推しに出会っていなければ自分の好きな顔を知らなかった。
もし推しに出会っていなければ高身長が条件に入っていた。
もし推しに出会っていなければ今頃旅行にしている。
色々思うことはあるけれど、しかしだからと言って出会う前の生活に戻ろうとは思えないし、私のように「そもそも推していない生活とは?」となる意識がある人生の中で推していないときがない人だっているだろう。
恋愛依存症とよく言うが、私たちオタクは「推し依存症」でしかないのである。
ひどい。ひどい現実である。「オタク」といえば、日本の文化であり、「アイドル」と言っても、日本の文化であり、別に大したことじゃないと思える。
でも、「依存症」という現実味のある言葉でその状態を表したときに気づく、
ヤバい奴感がすごい。
今読んでいるあなたは「キンプリ依存症」かもしれないし、「菊池風磨依存症」かもしれない。どうですか?なんかヤバそうじゃないですか?
触れられないのに見えてしまって どうしようもないや
近くて遠いあなただ 理解ってるよ
コンサートのオタクの心理という的があれば、そのど真ん中にずどーーーんと入るこの表現。
アリーナの端の席のとき。通路に出て全力で走ったら触れることができるし、スタンドの前の席のとき。頑張ったらステージに乗れそうだし。アリーナに駆け下りても良さそうだし。
見えてるのに触れられなくて、触れられないのに見えている。
コンサート中、そんな気持ちが不意に過ぎるときがある。
しかし結局そのままたのしむべきだし秩序というのはそうやって守られていくんだろうな、としみじみします。
あーそれでも逢いたいな って何度もループループする
心があなたで鳴っている それだけが確かだ
それだけでいいよ
ここら辺から心の中が洪水。号泣でタオル必要案件。
本当に、それだけでいい。逢いたいって思って、それで推しで心が満たされるだけで、それだけでいいんです。だからオタ活やめられないんです!!!!!
想いが軌道を描いている あなただけを追うよ
ここも、もう号泣してるところにさらに涙要素を放り込んでくる最上級の表現。
想いの軌道の通じるところにあなたはいないかもしれないけど、私の想いはあなただけを追っているんですよ。推しだけに注がれているんです。
んで、最後の極め付け
あーいますぐ逢いたいな って命がループループする
この周回軌道上に あなたがいなくても
それ以外想えない
重すぎる愛。推しへの重すぎる想いが集約されたこの詞が私の心そのままで、良すぎる。
命がループループするけど、その周回軌道上にあなたはいないかもしれないけど。
でもあなたへの想いしかないんだもん!
っていうドルオタの心情でしかないんだもん!
んで、「本当にそのトーリなんだよなぁ。」って晩酌したい気分。晩酌しながら録画した推しの番組を見て、タオル一枚絞りたい気分。
でも、結局
そこに愛が在るだけ。
なんですよね。
愛は偉大なり。
ではでは!