日毎に見事に輝き増す彩り

ただの嵐ファンで櫻井翔ファンの私がうだうだ語るブログです。

嵐オンリーな私が活動休止して戻れなくなりそうだった話。

嵐が活動休止しますが、私は一度「嵐ファンを活動休止」していました。

 

担降りブログなどで、「きっかけは受験。離れてみたら執着がありすぎたことに気づいた」という文言を聞きますが、

 

活動休止をした理由は大学受験でした。私の学校の方針からか、(自称)進学校ならありがちだと思うのですが、「受験生」という柵に入るのが早かったんです。高2の二学期から「受験生」でした。

 

 

もともと勉強第一で考えていた私は定期考査や実力テスト、また英検などの日程に合わせてコンサートに申し込んでいました。そのせいで早退遅刻は許されないし、

 

先生がよく生徒全員に向けて言っていた

「学生に休日はいらない。」

という言葉を信じていました。日曜日は復習と自習をする日だと、勝手に決めつけて勉強していました。

 

そんな私ですが、そのころも今と同様嵐ファンでした。ジャニオタといえば現場命の人が多いですが、私も現場が一番好きでした。

 

「今一番行きたい場所は?好きな場所は?」

と聞かれたら、

ディズニー<コンサート

って大声で叫びながら全私がペンライトをあげるぐらいには嵐ファンで現場推しでした。

 

しかし、ドームから離れたところに住んでいる学生である以上、平日に申し込めないし、なんなら休日と言われる土日でさえも学校があり、学校は休むべきではない。なぜなら学生の本分は勉強だから。

 

と思い、1年に2度しかない現場(ワクワクとコンサート)を希望にして嵐ファンな日々を過ごしておりました。

 

 

より一層そういう思いが強くなったのは、高校生になってからです。というのも、予備校に通い出して、私のアラモクが消えた。そしてさらに、しやがれも消えた。

 

嵐が好きな私はzeroが観られないことは泣く泣く了解していたけど、まさか嵐5人の番組まで観られなくなるとは思っていませんでした。。

 

高2になってから、学校の時間もさらに長くなり、塾の時間も長くなり、自分の勉強時間も長くなって、

それまでは録画して観ていた時間がなくなった。

そのころの具体的な活動は1時ぐらいまで勉強をして、6時前に起きて学校に行き、夜10時ぐらいに帰ってくる、というときが週3で、それ以外の日は帰宅部だったので6時過ぎに家に帰っていたけど、帰ったら勉強して寝ていたので、まさに怒涛の日々。

 

さらに追い討ちをかけたのがワクワクで初の落選。

「ワクワクって落選するんだ。」と思った。同じクラスの友人がwestのファンだったんだけど、その子が当たったのになぜ自分が当たらないんだ!!ってめちゃくちゃ醜い気持ちを抱いたことは今でも忘れません。

 

 

 

流石に嵐ファンの私はもう枯れ果てそうになっているだろう、とみなさん思っているかもしれませんが、そんなこともないです。

確かに情弱だし、しっかり観た番組はMステの嵐と日曜日に観るしやがれぐらいだった。けど、それでもシワシワになるファイル(イベントがあるごとにファイルを変えていました)を胸に抱きながら、嵐ファンでした。

 

その私が嵐ファンを活動休止する前の最後のコンサートが「Are you happy(←点々)?」でした。スタンドの真ん中で、嵐が出てきた瞬間初めて感動して涙が出ました。双眼鏡越しの翔くんは輝きすぎて見えなかったけど(笑)、見えない彼を見て、なぜか涙が出ました。今まで感受性ないって思ってたけど、年取ったんでしょうか。

 

 

そして私はそのコンサートを最後に嵐ファンとしての活動を徐々に減らし始めます。

受験生の方、もしくは受験生になる方で活動休止ができないから困ってる!と言う方いるかもしれませんが、私もなかなかうまいこと活動休止できませんでした。

 

私の性格上、切るとこは切らないと引きずるので、嵐のバラエティを観ないことにした。そして音楽も聴かないことにした。でも、少し聴いちゃう・・・(笑)

 

 

なかなか未練を断ち切れない女々しいオトコのような日々が急に「スパン」と終わった日は、2017年2月25日。

 

なぜそれを知ったのか。

当時自分用のスマホも持たず、アメブロも休止していたのに。写真も見てないし、記事もさらっとしか見てない。

 

それまでの私の嵐ファンとしての認知のせいで、知ってもない人伝いの噂だったけど、

「翔くんのこと、残念だね。」

 

って色々な人から声をかけられた。学校の先生、予備校の先生にも慰められた。

人伝いの噂なんて私にとってはかすり傷でもないんだけど、内容もほとんど知らなかったんだけど、

 

「あ、もうやめよう。」

 

と思った。悲しい、悲しい、悲しい。別に自分が相手になれると思ったわけじゃない。

 

でも、私は今でも結婚したら担降りだと思ってる。尊敬はしてるし、永遠の憧れだけど、でも、コンサートで「しょーくーーーん!」ってうちわにメッセージ書いて、必死に声をかけたいとは思えないから。認知されなくてもいいと思ってしまうから。

 

こんな悲しい気持ちになりながら、自分の明るい未来に向けて黙々と勉強するなんて、そんな鬼畜なことありますか?

って思って、翔くんへの思いや嵐への思いに蓋を閉じた。もしかしたらそれは担降りだったのかもしれない。今思えばだけど。でも、私は受験が終わったらすぐ戻るから!ってそのとき思っていたよ。

 

そして良かったのか悪かったのか今でもわからないですが、そのノリで色々な煩悩を消し去りました。(本を読んだり絵を描いたり色々)

 

 

しかしながら、現実は思ったよりも甘くありませんでした。翔くんに「嵐舐めんな。」「俺舐めんな。」「翔潤舐めんな。」って言われてるようでした。

 

2017年、翔くん司会の24時間テレビに翔くん主演のドラマ。そして私のアメブロ「未完成なアラシスト」の共通点である未完の発表とuntitledの構成がエモすぎる。翔潤爆弾も投下されすぎて、まさかの曲まで・・・。

 

私がファンを活動休止したのを良いことに、嵐が私を突き放しているのかな?って変な被害妄想もした。すごく嵐が嫌になった。遠くからふとした瞬間に見ると、SMAPの解散に伴って嵐が推されまくってるのに気づくし、ジャニーズが嵐を使って他のグループを推してるのもなんだか複雑だと思った。

今まで気づかなかった部分がわかった。

 

そういう場面を見て、嵐は嵐だし、他のグループは他のグループでしかないじゃん!って。

 

 

でも、今はそんな短絡的な考えは消えてます。むしろ後輩に絡まれたり絡んだりして翔くんが先輩風吹かせてるのも好きだし、後輩とのエピソードも大好きです。

 

 

そんなこんなで、嵐に突き放されてしまい、嵐の多忙さを知ったものの、受験を終わったころにはuntitledの曲は一曲も知らず、結局ただFCに入っている奴になってしまいました。

 

その頃の会報は何処にあらん。

 

 

 

大学生になれることが決まって、色々手続きをするうちに気づいたら大学生になり、新歓に追われ、人付き合いに気づいたと思えば気づいたら8月。

 

翔くんがまた週刊誌に載った。

 

今でも

「翔くんは否定してた」

ってことを信じてる。

 

別に私の考えが正しいとは思わないけど、流されないで生きるのは大事だと思う。でも、情報の表面を見て勝手に判断するのも違うと思うから、週刊誌に「本人のコメント」があったら見るようにしてる。

 

ぜひ皆さんも週刊誌の見出しにはご注意を。新聞の見出しはOKだけど、週刊誌やその他の見出しで踊らされているファンを見るときほど悲しいことはありません。

 

 

 

そんなわけですが、私は「え?」と思ってしまった。いや、だって翔くんといえばガードが堅い、鉄壁じゃないですか・・?

 

翔担の私でさえ、いざ翔くんと遭遇しても

「櫻井さんですか?」って声かけるの少しためらいそうな、そんな方じゃないですか・・?

 

なのに、突然週刊誌に本人の顔まで、しかもコメントまで載るようなそんなターゲットになってる、そんな翔くんがかっこ悪いと思った。初めてそんな感情になった。

 

私の好きな翔くんは、「どこまでも顔がよく、どこまでもパイオニアで反骨心が誰よりも強い」翔くんだ、永遠の憧れで、永遠の好きの性質。とその時改めて気づいた。

 

 

 

だからまだそのときも嵐ファンの活動休止中でした。今思うと完全に「出戻り」ですよね。

でも、そのときも色々なことを自然と嵐や翔くんと比べている自分がいました。

 

他のアーティストのアリーナのライブに行って、「ああ、また嵐魂行きたいな。」

って嵐のコンサートしか今まで行ったことない私はなぜか広くて遠い会場を懐かしく思ったし、

YouTuberに手を出しても、「嵐の関係って奇跡だよな。」って勝手に嵐と繋げてたし、

竹下通りを一人で歩いたときも「あー、昔ここで参戦服買ったなぁ。」って懐かしく思ったし。

 

 

染み付いているんだなぁ、って。

 

 

今思えば、私、早く気づけよ。嵐5人が「帰っておいで」っていつでも待ってくれてたのに、私は勝手に置いてかれたって被害妄想みたいに嵐を歪んだ視点で捉えて謎に負の感情を抱いたり。ただそれは嵐がプロ意識を持って人生ぶん投げて活動して、それでファンに元気を与えてくれてるからこそ多忙なだけなのに。

 

いつでもイベントがあるし、いつでも迎え入れてくれる。

いつでも好きになれる。

 

 

 

そんな

 

担降りしかないでしょ、早くFC辞めろよ

 

って言われそうな私が応募した5×20のアニバコンに当選しました。

 

名義1つで申し込んで、受験で去年は応募しなかったので、当たるかな〜、と期待してましたが、

さらにまさかの良席。完全なデジチケは初めてだったので、席がわかった状態で行ったときの「え、ここ通るじゃん♪」っていう興奮よりも、さらにでっかい興奮を味わいました。

 

私の必死の叫びが聞こえたからか、横で"私を"必死に指差してくれた母のおかげか、"必ず見てくれているあなた"に私も放り込んでもらえて。翔くんの目線をゲットしました。ウレシスギタ。

 

 

そして何より、翔くんの煽りや挨拶、それが懐かしくて、大好きで、やっぱり翔くんは嵐であり、アイドルでもあると思った。

嵐がアイドルになる、そんな瞬間はコンサートでしかなくて、やっぱりアイドルしてる翔くんがかっこよかった。

 

 

と、言うわけで、

その日に私は嵐ファン活動休止を終えました。嵐ファンに戻ってきました。

 

単純かな?(笑)そう思ってもらってもいいです。ミーハーだろうと、単純だろうと、私は大きな声で「嵐が好き!」って言えるから。全私が翔くんのうちわを振りながら「翔くんが大好きです!」って叫ぶから。

 

 

一度活動休止して見えた、嵐を客観視して、翔くんを客観視してわかる、その奇跡な部分や、彼がやっぱり永遠の強すぎる憧れだということ。特別で大好きってこと。私にとって嵐の歌声はどんな歌手よりも居心地がいいってこと。

 

 

それがわかってから、嵐が活動休止するという発表があって、

 

全私が涙を流しました。全私がタオルを必要とするもんだから、タオルもなくなり、私の涙は川となり、海にたどり着いているでしょう。

 

 

 

そんなわけで、4500文字という少し長めの記事になりましたが、ここまで読んでくださり、ありがとうございました!